虎之助の徒然記

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

虎之助の徒然記

虎之助の徒然日記

江藤淳と谷崎潤一郎と私

江藤淳との出会い

 映画「海街diary」を観て谷崎潤一郎の「細雪」を思い出したと前の記事で書きましたが、「細雪」とは大学時代のゼミで出会いました。ゼミの担当教授は、文学評論家の江藤淳。大学では本名の江頭淳夫を使っていたので、江頭ゼミですね。有名人のゼミということもあり、人気が高く競争率は高かったはずですが、希望通りゼミを受けることができました。江頭先生は、怒る、怒鳴る、直ぐに単位を落とす「怖い先生」という前評判で、敬遠する人も多かったのかもしれません。受講生は15人前後で、小さなゼミ室で行っていました。

 当時、江藤淳は右派の論客、江頭先生は怖い人という評判でしたが、実際にゼミを受けてみると、温厚な先生で、文学、日本語、特に大和言葉に対する深い愛情を持っている方という印象でした。もっとも、凛としたところがあって気楽に話せる先生ではありませんでしたが、怒ったり、怒鳴ったりすることはなく、単位も貰えました(笑)。

江頭ゼミのテーマは「翻訳論」

 ゼミのテーマは、翻訳論です。といっても、理工系学生の人文単位のためのゼミなので、文学者の小難しい用語を使って「翻訳を論ずる」というような堅苦しいものではなく、原文と訳文を輪講スタイルで淡々と読み進んでいき、ときどき江頭先生がコメントを入れるというものでした。

 題材は、細雪と源氏物語。

  • 前期は「細雪」。谷崎の原文と英語訳 "The Makioka Sisters" (Edward Seidensticker訳)の比較
  • 後期は「源氏物語」。Edward Seidensticker訳、Arthur Waley訳の比較(+与謝野晶子訳と谷崎訳)

 当時のゼミを模して、源氏物語の桐壺の冒頭で比較してみます。

  • (原文) いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
  • (与謝野訳) どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御寵愛を得ている人があった。
  • (谷崎訳) 何という帝の御代のことでしたか、女御や更衣が大勢伺候していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰よりも時めいている方がありました。 

 これを見ると、良く分かると思いますが、与謝野訳は漢語もやや多くキチッとしって硬い感じの訳で、谷崎の訳は大和言葉を残したやさしい雰囲気の訳になっていると思います。また、与謝野訳は、「女御とか更衣とかいわれる後宮」と女御・更衣を後宮であるという説明をしていてるところで、リズムも少し間延びします。谷崎訳は、丁寧語を使っていることもあるかと思いますが、リズムもよく、滑らかさがあり、優しい雰囲気があります。「時めいている」という大和言葉を残しているところで、"キラキラ・ドキドキ"感も残っています。その後は引用しませんが、比較すると、谷崎訳は、与謝野訳を圧倒的する、分かりやすさ、読みやすさがあり、すらすら読めて引きこまれてしまう文章になっています。

  • (Seidensticker訳) In a certain reign there was a lady not of the first rank whom the emperor loved more than any of the others.
    「ある御代のこと、天皇が他の誰よりも愛した、最高位ではないご婦人がいました」
  • (Arthur Waley訳) At the Court of an Emperor(he lived it matters not when) there was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one, who though she was not of very high rank was favoured far beyond all the rest;
    「ある天皇の宮廷(いつかはさておき、彼が住んでいた)に、衣装部屋や応接間の多くのご婦人の方々の中に、あまり高位ではないけれども、他の方々よりずっと愛されたおひとがいました」

 英語訳は、この短い文でも、かなりの違いがあることが分かります。

 Waley訳は、場所(At the Court of and Emperor=御所)、身分(of the Wardrobe and Chamber=女御•更衣)を訳出し、できるだけ原文の意味を保ち、更に補足を加えています。一方、Seidensticker訳は、シンプルです。「女御、更衣あまたさぶらひたまひける」のところがばっさりと削除されています。このため、"a lady"や"others"がどのような身分の人なのか分からなくなっています。Seidenstickerは、女御・更衣は単に訳しても英語圏では理解しえないので、カットしたということでしょう(Waley訳の"many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber"で英語圏の人に意味が通じるか否かは、私はよく分かりませんが)。

ゼミの単位は取れました

 上期のレポートでは、「翻訳とは、原文をベースに新たな創作物を作ること」という要旨のことを書きました。1つの単語でも、日本語と英語で意味は完全に共通するものではなく、文化的背景が存在する。文章もまた、その翻訳言語における文化を背景とした表現しかできない。翻訳を文学として成立させるためには、意味として訳すだけではなく、原文をベースに、その文化を基礎とした再創造が必要である。そして、新しい創作物となってはじめて、翻訳が文学となる、というようなことを論じた(だらだらと書いた)と記憶しています。要するに「映画とその原作の関係と同じ」ということなのですが、word by wordで読み比べることにより、翻訳とは如何なるものか、ということを少しだけ理解出来た気がしたのでした。

 当時の本を開いてみたら「下期のレポート課題:源氏物語のウェイリー訳とサイデンステッカー訳を比較し、翻訳の問題について考えるところを記せ」というメモを見つけました(何を書いたか全く覚えていません。単位落としたのかも(笑))

最後に

 このゼミをきっかけに谷崎作品を読み、谷崎潤一郎は、私の数少ない好きな作家の一人となりました。代表作は一通り読みましたが、「細雪」が最も好きな作品です。谷崎ファンになったのは、ストーリーに惹かれたところが大きいですが、それを支えるのは、やはり文章の表現力なのでしょうね。


 江藤淳の翻訳論について書いてある文章がないかとググってみたら、以下のブログが見つかりました。

『言葉と沈黙』の「日欧文化の対称性と非対称性――美術と文学と――」という節で細雪のサイデンステッカー訳を論評しているそうです。時期的にも、ゼミの頃と符合するので、当時考えていたことをゼミの題材にしたということでしょうか。ちょっと読んでみたくなりました(でも、江頭先生の著作は、私には難しすぎるのよね...)。

細雪(上中下) 合本版

細雪(上中下) 合本版

The Makioka Sisters

The Makioka Sisters

源氏物語(原文) 第2版

源氏物語(原文) 第2版

全訳 源氏物語

全訳 源氏物語

潤一郎訳 源氏物語 (巻1) (中公文庫)

潤一郎訳 源氏物語 (巻1) (中公文庫)

The Tale of Genji (Vintage Classics)

The Tale of Genji (Vintage Classics)

The Tale of Genji (Tuttle Classics)

The Tale of Genji (Tuttle Classics)

言葉と沈黙

言葉と沈黙

2015/10/5